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2010.06.27

明日に向かって...

先週ときょうの「エチカの鏡」が人生の最期…「死」についての内容.
そんな中、一昨日、精神世界の仲間の一人が亡くなった.
まだ30代半ばあたりの若さで...
ご冥福をお祈りします.
やすらかにおやすみください.

ものごとには様々な捉え方・受け止め方があると思う.

昨年暮れ近くに自分自身が死にかけてからというもの、人生の生き方や人の死ということを重く受け止め、深く考えるようになった.
まぁ、前からそうだったけれど...
思えば中学生の頃からかも知れない.
中学時代に図書館で親友と、自分ってなんだろう?などと話あったことを覚えている.

時々このブログに書いているけれど、「神との対話」という本に触れてからは、こころの持ち方がすっかり変わって、こころも軽くなり...
どんな時でも、どんな状態でも、楽しく生きていけるようになったと思う.

 

仲間の旅立ちを知り、「神との対話」シリーズの中で読んだその時に、何かを感じて書き取った文章をあらためて読み直した.
人間として生まれる際に魂が、今回の人生でこれこれを体験しよう、と決めてこの世に生まれてくるらしい.
その体験が終われば次の人生に旅立って行くという.
だから生きている人は魂の目的が、体験がまだ終わっていないということ.
そう考えると、亡くなった方には祝福して送ってあげよう、という気持ちになる.
この世界にいなくなるのは寂しいけれど...

 

「神との対話」からの抜粋.

(略)ただ、魂にとってだけ死は救い、解放だ.
死にゆく者への最大の贈り物は、安らかに死なせてやることだ.
魂が身体を捨てて自由になり、べつの探求の旅に出る時がきた、と決意したら、身体が何をしても決意をひるがえすことはできない.精神が何を考えても、変えることはできない.死ぬときに、身体と心と魂のうちのどれがものごとを動かしているのかがわかる.
一生を通じて、あなたは身体が自分だと思っている.ときには精神が自分だと思うこともある.ほんとうの自分は何者かを知るのは、死ぬときだ.
身体と精神(自我)が死に抵抗するとき、(略)魂がどれほど立ち去りたがっているかで、すべてが決まる.
とどまることはもっと高い目的に役立たない…この身体を通じてはもう発達できない…と見きわめているときには、魂は去ろうとする.そのときは引き止めることは何者にもできないし、引き止めようとすべきではない.

身体を去ることは、魂にとってはべつに悲劇ではない.

 

魂が追求しているのは…想像しうるかぎりの最高の愛の感情だ.これが魂の欲求、目的だ.魂は感じようとしている.愛を知ろうというのではなく、感じようとしている.

 

あらゆる生命の目的はひとつしかない.あなたがた、そして生きとし生けるものすべての目的は、できるかぎりの栄光を体験する、ということだ.
話したり、考えたり、行動したりするのもみな、この目的のためだ.魂がすることはほかになく、魂が望むこともほかにはない.

(以上「神との対話」より)

 

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