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2011.03.02

起こるということ(2)

おもに病気に関しての「神との対話」からの自分用めも.

 

<健康上の問題、慢性的な病状に苦しめられている>

 

まず、ひとつはっきりさせておこう.あなたは病気を愛している.とにかく、その大半を愛している.
自分を憐れんだり、自分に注意を向けるために、病気を利用してきたのだ.
珍しく病気を愛していないことがあれば、それは病気が進みすぎたからである.病気を創り出したとき予想した以上に、ひどくなってしまったからだ.
たぶんもうわかっているだろうが、ひとつはっきりさせておこう.すべて、病気は自分で創り出している.(略)

ほとんどのひとは、まったく無意識に病気を創り出している(自分が何をしているかさえ、気づいていない).
だから病気になったとき、何にやられたかわからない.自分でしたのではなく、よそから何かが降ってきたように感じる.(人生を無意識に生きているからだ)
心配というのは、最悪の精神活動のひとつだ.非常に自己破壊的な憎悪のつぎに悪い.心配は何の役にもたたない.(略)さまざまな障害を引き起こす.
心配するのをやめれば、すぐにも健康状態は良くなる.
心配するのは、「わたし」とのつながりを理解していないからだ.
憎悪はいちばん破壊的な精神状態である.憎悪は身体を毒する.そうなると、元に戻すことはできない.
不安は、あなたのあらゆるものと対立する.あなたの精神的、肉体的健康に悪影響を及ぼす.不安は増幅された心配である.
心配、憎悪、不安は-さらに、これらから生まれる気がかり、苦々しさ、短気、貪欲、不親切、批判、非難なども-すべて、細胞レベルで身体を攻撃する.そうなったら健康を保つことは不可能だ.
同じく、-程度の差はあるが-うぬぼれ、わがまま、欲張りも肉体的な病気につながる.あるいは快適さを損なう.
病気はすべて、まず精神のなかで創られる.
(略)
否定的な思考の効果がいったん物理的なかたちをとってしまうと、逆転させることはむずかしい.不可能ではないが、きわめて困難である.そのためにはとても強い信念にもとづく行動が必要だ.
宇宙の前向きの力に対するとほうもない信念がいる-その力を神と呼んでもいいし、女神、ゆるぎない動かし手、至高の力、最初の原因などと呼んでもかまわない.
病を癒す癒し手は、そんな信念をもっている.神の世界の知への境界を超えるのはその信念だ.癒し手は、たったいまのあなたが、欠陥のない完璧な存在であるべきことを知っている.
その知はまた思考でもある.非常に強力な思考だ.山をも動かす力がある.ましてや、あなたの身体の分子などは簡単に動かす.だから癒し手は、ときには遠くからでも癒すことができる.
思考に距離はない.思考は言葉が口に出るより速く世界をまわり、宇宙を旅する.

「健康上の問題を解決」するには、考え方の問題を解決すればいい.
すでにかかった(招いた)ものでも、癒すことができるし、新しい大きな問題が生じるのを予防することもできる.要は考え方を変えればいいのだ.
(略)
あなたは、具合が悪くなるまでは、自分の身体をないがしろにしている.何も予防をしない.身体よりも自家用車のほうを大事にしているくらいだ.
(略)

 

 

「こんな目にあう」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない.
「わたしの責任だ」と言ったときはじめて、それを変えられる.
自分がしていることを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ.
なにごとであれ、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ.
個人として責任があると思えなければ、わたしたちはすべて一体であるという理解を通じて、認めなさい.それから、間違っているからではなく、ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で、変化させる何かをする理由は、ひとつしかない.宇宙に向かって、自分が何者であるかを示すことである.
そうすれば、人生は自己の創造になる.あなたがたは人生を使って、真の自分、こうありたいと願ってきた自分を創造する.また、ある行動を拒否する理由もひとつしかない.それが自分にふさわしくなくなった、という理由だ.
正しい自分を示したいと願うなら、永遠のなかに映し出したいと思う自分にふさわしくないものはすべて、変えていくよう努めなければならない.

 

大きな意味では、「悪い」ことはすべて、あなたがたの選択の結果として起こっている.

 

あなたがたは集団として、また個人として、魂の発達という目的に向かって、自分たちの人生と時を創造している.

 

地上の経験や出来事に感じる苦痛を(自他とも)減らすには、受けとめ方を変えればいい.
あなたがたは、外部の出来事を変えることはできない(出来事は多数によって創造されており、集団的に創造されたものを個人が変更できるほど、あなたがたの意識は成長していない).だから、内的な経験を変えるしかない.
どんなことでも、それ自体は苦痛ではない.苦痛は誤った思考から生まれる.

 

ものごとを勝手に決めつけるから、苦しむのだ.決めつけるのをやめれば、苦痛はなくなる.

 

神の世界では、なになにを「せよ」とか「してはならない」とは言わない.したいことをしなさい.
より大きな自己の姿にかなっていることを考え、行いなさい.(略)
一方的に決めつけたら、いつかは自分が決めつけられる側になる.
それよりも、真の自分の姿を反映しなくなったことがらを変えるように-あるいは.変えようとしているひとたちに味方するように努力しなさい.

 

 

あなたがたは他者が歩む因果(カルマ)の道を、善いとか悪いとか判断してはならない.
成功をうらやまず、失敗を憐れむな.魂の決算の時がきたら、何が成功で何が失敗になるかわからない.
ものごとを災難とか、喜ばしい出来事とか言うのは、それをどう活用するかを決めてから、あるいは見届けてからにしなさい.ひとつの死が数千の生命を救うなら、それは災いだろうか.悲しいことばかり続いたら、良い人生だろうか.しかも、それすらも決めつけるべきではなく、ただ自分の胸の内で考えるだけにして、ひとのことは当人にまかせておきなさい.
(助けを求める声や、環境や条件を変える努力をしようという自らの魂の呼びかけを無視しなさいというのではない)(略)
レッテルを貼ったり、決めつけたりするのは避けなさい.それぞれの環境が贈り物であり、それぞれの経験が隠された宝なのだから.

まわりが自分と違うものばかりでも、自分が何者であるかを忘れてはいけない.そして創造物をほめたたえなさい.たとえ、それを変えたいと思っても.
最も大きな試練が、最も偉大な勝利になる可能性がある.
誰もが現実の奥に秘められた神聖な真理を思い出せば、その瞬間に世界は変わりうる.

あなたがたは大きな創造の機械であって、考えるのと同じ速さで新しいことを出現させている.
出来事、事件、条件、環境、すべては意識から創造される.(個々の意識はそれほど力強い)

世界には犠牲者もなければ、悪人もいない.誰も、他者の選択の犠牲者ではない.ところがあるレベルでは、あなたがたはみんなで唾棄するものを創り出している.創り出したということは、それを選んだということだ.
すべての責任を引き受けたときにはじめて力を得て、ほんの一部でも「変える」ことができるようになる.

 

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